Mathematics



"数学的思考"と名付けた 自分なりの事象の捉え方の基準みたいなものがある。

「原因」と「結果」が一本の線だけで紐づくことなんて ほぼ ない。ということ。


物事の因果関係を考えるとき 少なくとも"3x3"
またはそれ以上のマトリクスで三次元的な運動が生じ
それが徐々に多面体としてかたちを持って
「今 ここ」にしかない結果が生まれるんじゃないだろうか という仮説。


しかしそう考えてみることで 随分頭がすっきりする ということは 案外多い。
自分が何をしたくて 何をすべきで 何ができるか。
迷った時の洗い出しに有用だったりする。


例えば 日常 人間の行動がもたらすのは

1.感情   humanity or emotion
2.道徳   morality or rules
3.経済   economy or creativity

この それぞれに立体構造を持つ三原則が運動の核的要素となっていて
マトリクスの運動力学で 一個の多面体をつくる。
結果 特定の現象を導く ということが多い気がする。


「いろんな事情が複雑に絡み合っている」と誰かが言う時
だいたいこの仮説で説明できてしまうことが多い。
あくまで 個人の実感としてだけれど。


これは 建築が「用 強 美」の三原則によって立体を生成するのと
同じ あるいは 極めてそれと親和性の高い理屈だと思う。

つまり 現象はリニアには答えを持ってこない
一個の結果が一個の原因だけに依存することなど ほぼ皆無で
神様の数式は もっと複雑な因果を秘めているものなんじゃなかろうか という話。


1+1 のような単一の理屈のみで解ける数学の問題が
小学校のテスト以降はまず登場しないことと似ている。


これって 具体的な根拠や出典のない 経験則に過ぎないから
単に頭をすっきりさせるために使い勝手のいい 自分だけの暴論かもしれないけれど。

しかしそもそも この世界がそんな簡単な力学でできているなら
ひとは誰も悩んだりしないし 衝突もしない。


思いきり文系出身です。
でもだからこそ それが僕にとっての"数学的思考"の基盤となっている。
"相対評価ではなく絶対評価"を自分なりに維持するのにも 役立っている。
この世界の複雑系を 複雑なままに扱うための 基本的な心構えのようなものとして。

まだ出会ってはいないから 知らないだけかもしれないけれど
もっと端的にそれを表現する美しい方程式は 既に世界のどこかに存在しているのかもしれない。


役に立たなければ どうかさらりと忘れ去ってください。
最後は "生産的かどうか" だけだと思います。


Graphic by 1+1 man & woman film. 2008


*Link
きょうの Eyes on Tibet

アルピニスト・野口健のブログ チベット動乱〜北京五輪出場への条件〜

 そして最も気をつけなければならないのがオリンピック閉会後だ。それまで抑えていた中国当局によるチベット人への復讐だ。もうすでに数千人のチベット人が逮捕、拘束されていると「チベット人権センター」が発表している。

 オリンピック出場の条件として国連などによる国際調査団の受け入れとダライラマとの直接対話を中国に強く要求するべきではないだろうか。オリンピックと政治は別問題とよく言われるが、本当にそうでしょうか。そもそもチョモランマの山頂にまで聖火リレーし、オリンピック開催までに急ピッチでラサを開発し、「中国のチベット」を演出しようとしている中国自身がオリンピックを政治利用しているではないか。「オリンピックと政治は別問題」は所詮は綺麗ごとであり、建前でしょうに、それを鵜呑みにしたらそれこそ中国の思うつぼでしかない
  

 チョモランマは私にとっての聖地でもあります。中国にとってタブー中のタブーであるチベット問題について発言を繰り返せば二度とチベットに入れなくなるかもしれない。すでにその手の忠告がないはずもない。ひょっとすると、もう二度とチョモランマに帰れないかもしれない。私の故郷が一つ奪われてしまうかもしれない。極めてデリケートなテーマだけに正直、発言に躊躇もしたが、しかし、現場を知っている人間は逃げられない。そして語らないことは加担する事と同じだ。確かに一登山家に出来る事は限られている。しかし、私にも何かが出来るはず。そうせめて声を上げ続けていきたい。

http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51052593.html